デザイン論
自分もそうだけど、たいていのデザイナーはデザイン論なんて読みたくないと思っているのではないか。自分は自分のデザインをするだけなので、それを説明されてもしかたがないし、「説明」は百人のデザイナーそれぞれがちがうだろう。そのちがいを取りあげて議論をすることには意味があるかもしれないが、自分のデザインは言語化するにはあまりに茫漠としている。そしてなにより、デザイナーの多くは、自分の興味あるデザイン対象を直接作り出すこと=表現することに魅せられてデザインをはじめたのであり、それを言語で説明することには興味がないし、他の人と「議論」をするのはさらに鬱陶しい話しだ。
でも自分は、あえてそれをしようと思う。
デザインすること
ちまたには、デザインの作品集がたくさん刊行されており、デザイナーも一般の人も楽しんでいる。これは洋の東西を問わず、昔から盛んに行われている。実際に「よいデザイン」を目にするのは楽しいことだ。その楽しさはたぶん、何万年もの昔から人を道具作りに駆り立てることと、根源のところで繋がっているのだろう。製品カタログなどカタログ化されたものを見る楽しみも同じ気持ちなんだろう。
また、デザインに関するノウハウも書籍やネットに溢れている。「よいデザイン」を自分がどうしたら作り出せるのか、は皆の知りたいことである。たとい自分がデザインしないとしても、どうやってそれが作り出されたのかは、人の興味を大いにそそる。
これらは作品というデザインの成果品という「モノ」に焦点を当てていると言ってもいいだろう。
でも自分は、「デザイン作品」ではなく「デザイン行為」に焦点を合わせたいと思っている。つまりデザインという「コト」に。ますますもって誰もついて来ないかもしれないけれども。
だから「デザインするってどんなこと?」
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