デザインについて

自分はいったい「デザイン」という言葉を使って、何を指し示そうとしているのか。

「今なり」のものとして、そのエッセンスを語ってみよう。

 

1. 人の行為としての「デザイン」

「デザイン」とは、人の行為につけられた名前である。

たくさんある人の行為のうち、ある傾向を帯びた一連の「行為群」を指して、「デザイン」といつか呼ばれるようになった。だからその行為の境界線ははっきりと引かれているわけではない。なので何が「デザイン」としての正解かといえる問題ではない。これはどういう概念についても同じようなものだが。

だから人それぞれの解釈があってよいし、時代とともに変遷もしていくだろう。

もしできるとすれば、「自分の考える」デザインの内容/意味を一つの候補として提示して、他の人の認識に影響(効果)を与え、了解や反論を得るというだけである。

そういう事情ゆえに、他の人の話はあまり聞きたくない、ということはよくわかる。

言葉には、呪いにしろ祝福にしろ、その意味内容とは別に「効果」あるいは副作用/サイドエフェクトというものがある。すべての言葉を耳にすると呪われる可能性もある。

しかし自分としては、思っていることを述べてみるしかない。

 

2. 人工物/道具

人はいろいろなものを作りだしてきた。それは人工物(Artifact)と呼ばれる。

すべての人工物は、何らかの目的を持つ、すなわち「機能」を帯びていると自分は考えている(目的を持たない人工物というものは考えられるだろうか?)。すなわち、すべての人工物は「道具」である と言っていい。

「目的」とは、到達した状態を定義できる事柄 である。目的があれば、そこにはかならずそれが果たされるイメージが付随しているし、未達の果たされることを持っているならばそれは目的と言ってよいだろう。

道具は大まかにいって人を幸福にする。あるいは人が少しでも幸福に近づくために人は道具を作りはじめた。

 

3. デザインと道具

デザインはこの道具作りに連なる行為である。

道具は人を幸福にするが、道具を作りだすという行為自体もまた人を幸福にする。

しかし、この状況の中にはいくつもの考えるべきことが潜んでいる。とにかく幸福になるのだから、ジャンジャン物=道具を作りましょう! とはいえない状況がここにはある。

戦争の道具=武器といえども、味方に勝利をもたらす(敵の勝利を削ぐ)という目先の「幸福」がある。馬鹿げた話だが。原発だってAIだって、よかれという強い思いで造られている。

そういった大きな話は措くとしても、どういう道具(品物、製品、サービス)が人を幸福にするのかということが、テレビにも雑誌にもネット上にあふれている。そこに流れるメッセージとは、ほぼ「これを(買って)使えば、あなたは幸せになれる」に尽きるようだ。

だからまだ、その道具を造り出すという状況の全体像は解明されていないということだろう。少なくともこの問題は再帰的だし自己言及的でもある。その答えは生成的でありオープンエンド、非固定的であり無常である。その答えは夏の逃げ水のように追えば遠ざかる。

考えなければならない視点やタームはたくさんある。

幸福とは? 目的とは? 生きることとは? 形とは? 色とは? ことばとは? 造るとは?

このことにデザインはコミットする。

 

4. 造るということ

何かを造ることには、実際に手足を動かして材料を集め組み合わせて「作りあげる」ことと、何をどういうふうな様態として造るのかを「決める」ことという二つのフェーズがある。

またできあがった物/道具から見ると、「使う」と「造る」の二つの局面がある。

(図)

物(道具)

  使うもの

  造るもの

    実際に作り上げること:制作、製造

    何をどう造るのかを決めること:設計

設計は制作に先立たなければならないが、デザインは道具作りの中の設計フェーズに位置している。

設計のフェーズをさらに詳細にみるためには、「道具を使う」という局面を観る必要がある。

道具を使うこととは、「道具に仕事をさせること/道具を働かせること」であるが、それは道具の本来的な機能に即したものである。

金槌であれば釘を正確に打てることであり、ノコギリならば板を正確に切ること。製造用の機械であれば早く大量に何かを作りだすことであり、家具、食器、家電製品、乗り物建物、またポスターやホームページには達成すべき目的がある。これらの基本的な機能を実現するレベルでは、まず工学がその任を果たしている。

しかし、道具を設計することはそれですべてといえるのだろうか。

道具を使うという局面をつぶさに見てみよう。

道具と使い手の関係は、その主たる基本機能を果たすことから始まったことは確かだろう。チンパンジーなど高等な動物は目的を十分意識して道具を器用につくる。好物の蟻をつり上げる釣り竿を丹念に造る(「森の隣人」ジェーン・グドール)。またある種の鳥や魚は見事な巣を作るし、アリやハチなどの昆虫も立派な巣を作り上げる。巣とは、棲むため/子育てのための道具であるが、それらは決して粗末なあばら屋ではなく、美しく整然としておりときに壮大ですらある。昆虫たちのそれは、おそらく効率を追求した結果、数学的な美しさを持つに至っている。

ときに鳥や魚(アマミホシゾラフグ)の巣は、異性の注意を引くために造られるが、物理的な効率や効果を伴うとはあまりいえない。ということは彼らは「美しさ」を評価しているというこなのだろう。美しい巣を作り上げる能力のある個体は、優れた個体である、と。

つまり動物レベルでみても、道具はその機能以上の何かを包含している、ということではないか。「美しい巣」という様態のなかに、まだ発現していない個体の「優れた能力」といういわば未来を予見してしている。つまり未来を「形」のなかに見ている。

 

5. 目的

私たちは、「目的」を固定的なものと捉えがちだ。議論の途中で目的や目標を動かすことはタブーである。しかし、私たちの心に生じる目的感を自然に受け止めれば、それほど安定したものではない。むしろ、目的には以下のような性質がある。

多義性

目的は一つではない/複数の目的がある。人によって立場によって求める目的は異なる。

流動性

目的は時間とともに変化する。目的は随時増えるし減るし、また変容する。

事後決定性

目的は果たされた結果、あるいは果たされるその途中で、新しい次元の新たな目的が生成する。

この「目的」のような、全体的に事前に問題を定義できないことに対して、一つの解を得ようとする科学的なアプローチは有効なのだろうか。自分は科学はつねに有効だと考えている。しかし「型どおり」の方法ではむずかしいことのように思われる。

 

6. 魅力的な巣(価値ある巣)

種にとって優位(強い個体、かしこい個体)な配偶者を探すことと、大きくはまとめられるのかもしれないが、「美しい巣」という様態から発している「魅力」は、実際に機能を実現している物理的な「しかけ」の外にある。

魅力発生の例示

ひとつわかっていることは、それらが機能の本来の必要性からすれば二次的に付随してした色や形、音や触覚、匂い、などの感覚からその魅力は直接に発しているということ。

またそれにまつわる歴史や事実。大切な人の形見の品であったり、思い出の品には、魅力(大切さ、貴重さ)が付随する。懐かしさや希望(メランコリック/ロマンティック)

自分を成長させてくれる。

全能感、自己肯定感、

 

■デザイナーが〈表現〉する意味(例)  〈表現〉の持つパフォーマンス

・新規性:新しい製品であること、今までにないものであること

独自性:他に類を見ない、ワン&オンリー

先進性:尖鋭性、尖った製品、革新性/アヴァンギャルド

多機能性:たくさんの機能があること/優れた製品であること

高性能性:ハイ・パフォーマンス

わかりやすさ:パッと見て機能や操作がわかる、使いやすさ、納得感

物語性:後ろにストーリーを感じる、メタファ、

親しみやすさ:受容的/非排外的、見慣れている

利便性:便利、役に立ちそう

時代性:その時代の皮膚感覚にマッチする、時代に逆行する

懐古的:なつかしさ、始まったところ/還っていくところ、

安心・安全:操作ミスが少ない、操作ミスが起きにくい、ミスのリカバーが容易

市場性:市場の中での立ち位置・在り様(どこを狙うか)、高価な品、安価な品/値頃感

メンテナンス性:仕様変更、バグなどの対応、バージョンアップへの配慮

コーポレート戦略:イメージ/コーポレートイメージの体現

ブランド戦略: 同一ブランドとの一貫性、リエゾン、総合的なイメージ戦略

カッコイイ/カワイイ:(複合的なよさ)

まとめると、つまりこれらは機能や目的というより、その前段階にあるのものであり、その多くは「現象」そのものが発している。

これらに対してアブダクティブ(仮説提示的)にアプローチしていくこと。

芸術


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